ドラクエⅡ考察~ムーンペタから見る世界
当ブログでは主にドラクエ世界の“つながり”についての考察をしているが、このムーンペタは意外と他の町や地域とのつながりが分かりづらい。“人と人とが出会う町”らしいので他所との交流は盛んなはず。また地図上の位置などからムーンブルク←→(ローレシア・サマルトリア・リリザ)の中継点であることは確かと見て良いだろう。ただムーンブルク一番つながりの強いムーンブルクが滅亡してしまっていることと、ムーンブルクから先のヒントが極端に少ないことから、他の地域とのつながりについては分かりづらい。
Q.ムーンペタ―アレフガルド航路は存在するのか?
イエローのラインがその“ムーンペタ―アレフガルド航路”である。
アレフガルド周囲を囲むパープルのラインは確実に使われているラダトームと海洋世界をつなぐ航路である。
この航路が存在するならムーンペタと海洋世界と“つながり”があり、存在しないならムーンペタの“つながり”は陸世界で完結することになる。海洋世界との“つながり”の有無でムーンペタのイメージは大きく変わることになる。
ムーンペタ―アレフガルド航路肯定説の根拠
①地図上の距離の近さ
島沿いに進めば迷い無く辿りつける。このルートを使わないと考えるのは不自然。
②ムーンブルク―ルプガナ陸路が廃れて久しい事実
風のマントを纏って塔からダイブするという、クレイジーな行為が廃れたルートだという根拠。
ムーンペタ―アレフガルド航路否定説の根拠
①ムーンペタでアレフガルドやルプガナのヒントが一切無い
②他の地域でもムーンペタ、ムーンブルクに関する情報が得られない。
海洋世界の“つながり”を示した他地域の情報が無いムーンペタは海洋世界との“つながり”は無いと考えられる。
③ムーンペタでは“船”というフレーズが出ない
そもそもこの地域には船が無いとも考えられる。
④ロトの勇者がルプガナ経由の陸路でこの地方に来ている
地図上では近いはずなのにわざわざ砂漠越えまでして遠回りしてここまで来ている。
結論を出すのはまだ早い。しかし確かな事実はある。
①王子たちが揃った時点で海路からアレフガルドに行くことは不可能。
②ロトの勇者の時代にアレフガルドからこの地域への海路は無かった。
①については航路があっても無くても船は使えないということ。なぜ船が使えないのかを考えた時に航路や船が無いのはその理由のひとつに過ぎない。
航路があっても使えないケースを考えると、ハーゴンの侵攻により港と船が使えなくなったとする事は出来る。少なくとも船が使えない状態にされたというのは有力な説になる。この地域でならムーンブルクの王女が船を徴発出来るが、船自体が無ければどうしようもない。
ただムーンペタ付近と“ペタ―アレフ航路”は特別強い魔物は出ないし、ハーゴンの勢力圏外と思われる。ハーゴンに潰された港・航路とするには根拠が弱いかもしれない。
それよりもハーゴンに潰されたと思われる港・航路は他にあると見ている。
上の地図に記した、ムーンブルク西の海岸から伸びる白の航路とムーンブルク南の黒海のような湖の茶色の航路である。
どちらも大灯台経由でアレフガルドとルプガナにつながる重要なルートである。
地図では分かりにくいが茶色の航路からはテパにもつながっている。また、この茶色の航路を中心に地図を見ると、ムーンブルク西の祠は海の出入り口に見える。
ここで仮説を立てる。
『ムーンブルクの航路は茶色のみ』
ムーンブルクは軍事上の理由で黄色と白の航路は使ってなかったのでは?この仮説に従うならムーンブルクは外国の交流の入り口をローラの門と南の湖に絞って厳しく統制した鎖国のような政策を採っていたのではないだろうか。
そしてもう一つの仮説が
『大灯台はムーンブルク領』
元々大灯台をラダトーム領とするのはどうかと思っていた。なぜならラダトームで大灯台の情報は無かったし、大灯台でハーゴンを見張ってた(ハーゴンに備えてた)はずなのにハーゴンの侵攻とともに王が行方をくらますのは不自然だからだ。
大灯台がムーンブルク領なら、そこからロンダルキアだけでなくテパ、アレフガルドムーンペタ沿岸も見張れたはずである。
そして、そうなるとロトの勇者がアレフガルドから直接ムーンブルクに行きにくかった理由も想像できる。
ムーンブルクとアレフガルドは敵対関係という程じゃなくても仲の悪い国同士、少なくとも友好的な国交が無かったのは間違いない。まあ、アレフガルドも内向的な国だが…
【まとめ】ムーンブルク地方と他地方の“つながり”
ローラの門(ローレシア・サマルトリア・リリザ)
|
ルプガナ ラダトーム ムーンペタ
\ | |
大灯台―――ムーンブルク
/
テパ
結論:
Q.王子たちはなぜ廃れた陸路でルプガナに向かったのか?
A.3人揃った時点でアレフガルドを目指すつもりだったが、ムーンブルク南の湖の港やそこに停泊する船はハーゴン軍に破壊されていて使えない。そこで、かつてロトの勇者が通ったルートを逆に辿ってルプガナで船を手に入れるという方針にした。
『ムーンブルクは世界最強の軍事国家』
Q.ムーンペタ―アレフガルド航路は存在するのか?
イエローのラインがその“ムーンペタ―アレフガルド航路”である。
アレフガルド周囲を囲むパープルのラインは確実に使われているラダトームと海洋世界をつなぐ航路である。
この航路が存在するならムーンペタと海洋世界と“つながり”があり、存在しないならムーンペタの“つながり”は陸世界で完結することになる。海洋世界との“つながり”の有無でムーンペタのイメージは大きく変わることになる。
ムーンペタ―アレフガルド航路肯定説の根拠
①地図上の距離の近さ
島沿いに進めば迷い無く辿りつける。このルートを使わないと考えるのは不自然。
②ムーンブルク―ルプガナ陸路が廃れて久しい事実
風のマントを纏って塔からダイブするという、クレイジーな行為が廃れたルートだという根拠。
ムーンペタ―アレフガルド航路否定説の根拠
①ムーンペタでアレフガルドやルプガナのヒントが一切無い
②他の地域でもムーンペタ、ムーンブルクに関する情報が得られない。
海洋世界の“つながり”を示した他地域の情報が無いムーンペタは海洋世界との“つながり”は無いと考えられる。
③ムーンペタでは“船”というフレーズが出ない
そもそもこの地域には船が無いとも考えられる。
④ロトの勇者がルプガナ経由の陸路でこの地方に来ている
地図上では近いはずなのにわざわざ砂漠越えまでして遠回りしてここまで来ている。
結論を出すのはまだ早い。しかし確かな事実はある。
①王子たちが揃った時点で海路からアレフガルドに行くことは不可能。
②ロトの勇者の時代にアレフガルドからこの地域への海路は無かった。
①については航路があっても無くても船は使えないということ。なぜ船が使えないのかを考えた時に航路や船が無いのはその理由のひとつに過ぎない。
航路があっても使えないケースを考えると、ハーゴンの侵攻により港と船が使えなくなったとする事は出来る。少なくとも船が使えない状態にされたというのは有力な説になる。この地域でならムーンブルクの王女が船を徴発出来るが、船自体が無ければどうしようもない。
ただムーンペタ付近と“ペタ―アレフ航路”は特別強い魔物は出ないし、ハーゴンの勢力圏外と思われる。ハーゴンに潰された港・航路とするには根拠が弱いかもしれない。
それよりもハーゴンに潰されたと思われる港・航路は他にあると見ている。
上の地図に記した、ムーンブルク西の海岸から伸びる白の航路とムーンブルク南の黒海のような湖の茶色の航路である。
どちらも大灯台経由でアレフガルドとルプガナにつながる重要なルートである。
地図では分かりにくいが茶色の航路からはテパにもつながっている。また、この茶色の航路を中心に地図を見ると、ムーンブルク西の祠は海の出入り口に見える。
ここで仮説を立てる。
『ムーンブルクの航路は茶色のみ』
ムーンブルクは軍事上の理由で黄色と白の航路は使ってなかったのでは?この仮説に従うならムーンブルクは外国の交流の入り口をローラの門と南の湖に絞って厳しく統制した鎖国のような政策を採っていたのではないだろうか。
そしてもう一つの仮説が
『大灯台はムーンブルク領』
元々大灯台をラダトーム領とするのはどうかと思っていた。なぜならラダトームで大灯台の情報は無かったし、大灯台でハーゴンを見張ってた(ハーゴンに備えてた)はずなのにハーゴンの侵攻とともに王が行方をくらますのは不自然だからだ。
大灯台がムーンブルク領なら、そこからロンダルキアだけでなくテパ、アレフガルドムーンペタ沿岸も見張れたはずである。
そして、そうなるとロトの勇者がアレフガルドから直接ムーンブルクに行きにくかった理由も想像できる。
ムーンブルクとアレフガルドは敵対関係という程じゃなくても仲の悪い国同士、少なくとも友好的な国交が無かったのは間違いない。まあ、アレフガルドも内向的な国だが…
【まとめ】ムーンブルク地方と他地方の“つながり”
ローラの門(ローレシア・サマルトリア・リリザ)
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ルプガナ ラダトーム ムーンペタ
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大灯台―――ムーンブルク
/
テパ
結論:
Q.王子たちはなぜ廃れた陸路でルプガナに向かったのか?
A.3人揃った時点でアレフガルドを目指すつもりだったが、ムーンブルク南の湖の港やそこに停泊する船はハーゴン軍に破壊されていて使えない。そこで、かつてロトの勇者が通ったルートを逆に辿ってルプガナで船を手に入れるという方針にした。
『ムーンブルクは世界最強の軍事国家』
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