ドラクエⅡ考察~ローラの門がつなぐ歴史(上)

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 今回の切り口は『ローラの門は何故“ローラの”門なのか?』ということ。
 ローラの門の名前の由来だが、リメイク版では『はるか昔 伝説の勇者ロトが 妻の ローラ姫をつれて わたったことから そう 名づけられたのじゃよ。』と言われているが、本当にそれだけなのか?と思い、考察の題材にしてみた。(ロトの勇者もロトの称号もらったのかな?)
 
 ここでまずはロトの勇者&ローラ姫がアレフガルドを出て、ルプガナ経由でムーンブルクに辿りついた時点での情勢をおさらいする。
 紫のラインがロトの勇者が通ったと思われるルート黄色のラインがこの時代に使われていたと思われる航路である。
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 前回の考察で大灯台はムーンブルク領で、そこからロンダルキアだけでなくムーンペタ沿岸やアレフガルドに睨みを効かしているという説を述べた。そして海からの出入りを厳しく制限しているとも。

 まず南の宿敵ロンダルキア。といっても当時は敵対関係だったかどうかは定かではない。しかし強大な魔物が多数生息しており、守りを固めるべきポイントだったことは確かだろう。

 北のローレシア・サマルトリア地方は当時は未開の地で、蛮族や凶悪な魔物たちが跋扈する魔境だったと考えている。
 確実なのはまだローレシアが建国されていないという事だが、この見るからに住み易そうでロトの勇者が惚れ込んだこの土地に当時、国が無かったのは“当時は人間にとって住みにくい土地だった”という事だろう。その原因として真っ先に考えられるのは強い魔物がいたという事だろう。この地方の魔物を駆逐したロトの勇者が作った国がローレシアなのではないか。サマルトリア人のルーツはこの地方に古くから住む森の民だと考える。詳しくはサマルトリア編で述べることにする。
 とにかくこの未開の地の蛮族や魔物に悩まされていたというイメージがある。

 アレフガルドだが、敵対関係というほどじゃなくとも仲は良くない。少なくとも友好的な交流が盛んとは言い難い状況なのは確か。元々アレフガルドは内向きな気質なのだろうが、それよりもアレフガルドはつい最近まで激しい内乱状態で政情不安だった。内乱の中心にいたのは言うまでもなく竜王のことである。
 もしもこの内乱で竜王が勝利していたら、ムーンブルクにとって非常に危険な敵になっていただろう。ラダトームが勝利した場合も、内乱を平定したその武力が外に向けられることも想定せざるをえない事なので、どちらにせよムーンブルクはアレフガルドの情勢を注意深く監視する必要があった。

 当時ムーンブルクは三方を敵に囲まれていた状況だということ。それ故に軍備を増強し国境の守りを固め、周辺の監視体制を強めていたと考えている。
 
 ところがここで予想外の出来事があった。アレフガルドの内乱平定の立役者がローラ姫を伴い国を出たというのだ。追放か? 駆け落ちか?はっきりしたことは分からない。…、というのが当時の外から見たアレフガルドなのだろう。

 そんな変わり者のロトの勇者&ローラ姫が陸路はるばるムーンブルクにやって来た。

                    ~次回につづく~ 
 

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この記事へのコメント

kirey_bee
2011年03月10日 22:24
相変わらず面白いですねー^^
気になるのは、ロトの勇者とローラ姫の勢力の征服活動においての主戦力が(アレフガルド軍だろうけど)
どんな感じで国を立てて行ったんだろう??って事ですねー

想像するだけで面白いです
togege
2011年03月10日 22:37
ローレシア人ってナニ人なんだろう?
どんな人たちが集まって出来た国なのか考えれば、ローレシア国やロトの勇者の実像があぶり出される…
って、コレはローレシア編の話ですね。

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