ドラクエⅡ考察~テパの防衛戦略(中編)

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 前回の考察では、テパは周囲の山と森、川を含めたテパ地方全体が要塞であり、その守り手として魔物を運用していると述べた。守り手としての中心はくびかりぞくはゴールドオークだ。彼らは傭兵のようであり、根っからのテパの守護者のようでもある。

 今回のテーマはテパとハーゴン軍、シドー教との関係である。言い換えるならテパはハーゴン派か否か?テパ人はシドー教徒か否か?ということである。

【前提としてのシドー教】
 ここでハッキリ言っておかなければならないのは 必ずしも『シドー教徒=ハーゴン派』ではないということである。現実の宗教でも同じ~教でありながら派閥に分かれ、対立するというケースはいくらでもある。ドラクエⅡの世界でも同じシドー教でも派閥の違いがあるのは自然なことなのだ。ハーゴンはシドー教の中でも特に過激な宗派だと考えている。逆にカミの教会の信徒の迫害から絶海の孤島に逃れたザハンの民はシドー教の中でも穏健派と言える。(参考:『ザハンと月の欠片の謎』 http://togege.at.webry.info/201102/article_11.html

 以前の考察『仮説・シドー教団の歴史』 http://togege.at.webry.info/201105/article_4.html でも述べたように、シドー教はロンダルキアを中心とした中央大陸で広まった古い宗教なのだろう。勿論破壊の神を召喚し世界を破滅させようという過激思想の宗教ではないはず。
 “満月の塔”“月の欠片”“ムーン”の名を冠した都市…と、月を神格化した土着信仰がその原型だと推測される。特に満月の塔は旧シドー教のモニュメントであり、かつての聖地だったのだろう。
 しかしその繁栄は続かなかった。アレフガルドの方から広まった新しい宗教“カミの教会”の台頭である。旧シドー教団は絶海の孤島や魔境ロンダルキアに追い立てられてしまい、現在に至る…

【テパはシドー教徒か否か?】
 では現在のテパの村はシドー教なのだろうか?
 ザハンのようにテパをシドー教だと確定出来ないのは、ザハンに無くてテパにあるもの、そう『教会』があるからである。

 テパがシドー教と仮定するなら、何故同じシドー教徒であるザハンの民が絶海の孤島に逃げ込んで隠れシドー教徒のような生活をしているのか? 何故ロンダルキアに移った一派があれほどの過激思想に辿りつくまでに追い詰められたのかを証明しなければいけない。聖地テパが健在ならばそこに集まれば良いわけで、そこまで追い詰められた事情は他にあるのかもしれない。それにテパの村に教会がある理由も証明する必要がある。

 逆にテパが教会に支配されたのなら、迫害されたシドー教徒がロンダルキアやザハンに逃れたというシナリオはすんなり当てはまる。しかしそうなると、旧シドー教のモニュメントである満月の塔がそのまま残されているのはおかしい。塔自体は破壊出来なかったか、戦略拠点の価値を認めて残したとも考えられる。しかしだとしても塔内部のシドーを模した意匠だけは破壊出来たはずである。
 どちらだろうか…?

【ムーンの名を冠する都市】
 テパだけを見ていても結論は出ないので、視点を変えて“ムーン”ブルクと“ムーン”ペタ(以下ムーン地方)から見てみる。
 ムーン地方は“ムーン”という地名からシドー教の栄えた土地だと思われるが、現在は完全な教会派とだと見て良いだろう。
 旧シドー教が栄えた時代のテパとムーン地方の違いは何か?山奥にあるテパと違いムーン地方は平野で実に住み易そう。険しい土地のテパと違い、広く住みやすいムーン地方は多くの人口を養える。
 テパはシドー教の起源であり聖地であるが、シドー教が最盛期を迎えたのはムーン地方なのではないか。

 多くのシドー教徒の住むムーン地方であったが、住みやすい土地ゆえに元々厳しい環境で生まれたシドー教の解釈はムーン地方に合うように次第に変化していったのではないか。同じシドー教徒でも穏健なザハンと過激なロンダルキアに分かれたように、テパのシドー教とムーン地方のシドー教とでは微妙な違いが出てきても不思議は無い。人口の差からムーン地方のシドー教徒の勢力はテパ地方のそれを圧倒するようになり、ムーン地方のシドー教徒は聖地テパを軽視するようになった。

 隆盛を極めたムーン地方のシドー教であるが、次第に北のアレフガルドから広まった新しい宗教“カミの教会”に取って代わられるようになる。環境の変化で変質したシドー教だがその弱み(変質の過程で生じた教義の矛盾など)が“強い宗教”であるカミの教会に付け込まれたのだろうか?それともムーン地方の人々には元々カミの教えの方が合っていたのだろうか?いずれにせよムーン地方での宗教の勢力争いはカミの教会が勝利した。

【シドー教徒のその後】
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 ムーン地方がカミの教えに染まる中、それに抵抗するシドー教徒も当然少なくなかっただろう。しかしムーン地方での教会によるシドー教徒狩りは厳しかった。ムーン地方にある満月の塔のようなシドー教のモニュメントは破壊されたに違いない。
 そしてムーン地方には居場所の無くなったシドー教徒は聖地テパに帰ろうと考えた。しかしテパへのルートはシドー教徒狩りの警備が厳しいので、東から海路・ぺルポイ経由でテパを目指したのではないか。
 不慣れな船旅は過酷だった。その上、東の海にはデルコンダル地方を根城とする海賊がいる。その時、幸か不幸か仲間とはぐれて流れ着いた孤島に住みついた一派がザハンの民なのだろう。
 なんとかぺルポイに上陸した一派もその多くはテパには辿りつけなかった。ぺルポイには既にシドー教狩りの手が伸びていたからである。執拗なシドー教徒狩りから逃れたその先は…、人間には死んだ方が楽と思えるほどの過酷な魔境ロンダルキアである。

【その頃、テパのシドー教徒は…】
画像 当然ムーン地方の東のテパにも教会勢力の手は伸びたはずである。
 結論から言えばテパは自分たちの土地と信仰を守り切る事が出来たのだろう。満月の塔がそのままの形で残されているのがその証拠である。
 地の利もあるだろうし、前回の考察で述べた防衛戦略は多分この時に生まれたのだろう。川の水をコントロールする水門も聖地防衛のために作られた仕掛けなのかもしれない。

【時は流れ…】
 ムーンブルクのテパへの態度が寛容になった。力押しでテパを奪うリスクよりも交易によるメリットの方が勝ったからだ。
 テパの村にある教会は交易で訪れ、テパに住み着いた商人や旅人たち等のために建てたものだろう。勿論布教という意図はあるにせよ昔のシドー教徒狩りのような強引なやり方では上手くないと考えたのだろう。

 一見平和なテパ地方とムーン地方だが、その平和は破られ、以前とは異質な緊張に包まれる。
 大神官ハーゴンの登場によって。

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